F-1名勝負の4ー1990年アメリカ(フェニックス)GP

 フェニックス市街地で行わる、この年のアメリカGPはある意味で名勝負だった。
 前年の日本GPで、セナはチームメイトのプロストと激しくチャンピオン争いをしている中での出来事により“危険なドライバー”と言う烙印を押されていた。

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 事は48週目のシケインの進入で起こった。
 僅かに前に出ていたプロストのインに、強引にノーズを差し入れたセナに対して、プロストは自分のラインを譲らなかった。この為に両者は激しくぶつかり合い、セーフティーゾーンに停止してしまった。
 プロストはその場でヘルメットを脱ぎ、セナには目もくれずに歩み去ったが、セナこのアクシデントによりフロントウイングを失ったにも関わらず、コースに復帰。
 セナとプロストが止まっているあいだに、トップにたったベネトンに乗るナニーニを激しく追い上げて、とうとう逆転、トップを奪い返したのだった。
 しかし、コースに復帰する時に、シケイン不通過のために失格となり、この年のチャンプの地位をプロストに明け渡すことになったのだった。
 これがセナが危険なドライバーと言われるようになった、因縁のレースだった。
 この事によって、セナは引退も考えたとも言われていた。

 この年、ティレルチームにはジャン・アレッジと言う新人がデビューを迎えていた。
 この無名の新人は、この開幕戦のアメリカGPの予選で、どうどうのセカンドロー・4位を勝ち取り、いきなり存在感を示した。
 しかし、予選はアレッジの存在感に終わらず荒れた。
 セナは5位に、プロストはなんと7位にと沈んだのだった。雨の影響があったとは言え、決勝レースの波乱を予想させる結果だった。
 余談だが、アレッジは後年、国民的美少女と言われた当時のトップアイドル“後藤久美子”と結婚して、今日に至っている。

 3月11日、決勝は晴れた。
 スタートが切られると、4番手からスルスルとティレルのアレッジが抜けだして、いきなりトップに立つ。素晴らしい、スタートだった。
 セナもスタートでジャンプアップして、3位に着ける。その後、アレッジ、ベルガー、セナは各々数秒差で周回を重ねる。
 このまま淡々としたレースで終わるのかと思われていた24週目、ベルガーが市街地コースの餌食になり、単独でコンクリートウォールに突っ込みクラッシュ・リタイアしてしまったのだった。
 セナは、オープンになった目の前に対して、猛チャージをかけて、アレッジを追い詰めていった。テールトゥノーズの展開で、各コーナーでセナはアレッジを激しく揺さぶる。
 しかし、アレッジは新人らしからぬ落ち着きで動ぜずに、セナを巧みにブロックしていた。
 あるコーナーで、インから抜かれると、続くコーナーでは再びインから抜き返して、周回のトップを譲らなかった。こんな状態が数週のあいだ続いた。実にスリリングで、傍目から見てもクリーンなファイトではあった。
 このアレッジの好走が評価されて、翌年からはフェラーリのシートをアレッジは掴むことが出来たと言われている、大変に素晴らしいバトルだった。
 セナもプロストとの確執がある走りではなく、本来のバトルとはこうあるべき、と言うような走りで観客を魅了したのだった。

 しかし、そのアレッジもとうとう34週目には、セナに完全につかまり、トップの座を開け渡す事になったのだった。
 この週の直角コーナーでインを取られたアレッジは、セナに抜かれたがすぐに次のコーナーでインを刺して抜きかえした。今までのバトルと同じように見えた。
 しかし、セナはその後、再びアレッジを捉えると、今度は完全にそのポジションを明け渡すことなく、チェッカーまで走りきったのだった。
 セナにトップを奪われたアレッジは、再度トップに返り咲くべく、セナを攻め立てたが、叶わないとみると、しっかりとポジションキープに作戦を変更し、最後までしっかりと走りきった。
 こいうしてクリーンで、素晴らしいファイトは、近年のF-1では滅多に見られないシーンは終わり、我々F-1ファンの心に刻まれる名勝負になったのだった。

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